日本の年末に響く第九。
誰もが知っているベートーヴェンの交響曲第九番 第四楽章「歓喜の歌」です。
日本独自の習慣のようですが年末に数多く演奏されるため、これを聴くと1年が締めくくられるような印象を受ける方も多いかと思います。ただ、この第九に不吉なジンクスがあるということは御存知でしょうか。
当のベートーヴェンは知る由もない、クラシック音楽界に様々な影響を与え続けてきた名曲にまつわる都市伝説を御紹介いたします。
音楽史に残る傑作
聴くだけではなく、歌う方、演奏する方なども含め、これほど多くの人の人生に潤いを与えているクラシック音楽はないでしょう。
この曲がウィーンで発表されたのは1824年5月7日。
当時54歳になっていたベートーヴェンでしたが、ずいぶん前から難聴に苦しみ、「第九」の作曲時はほとんど耳が聞こえていなかったといいます。
この人類共通の芸術と称されるほど親しまれてきた傑作にまつわる都市伝説とは一体どのようなものなのでしょうか。
第九にまつわる都市伝説、第九の呪いとは
第九の呪いとはクラシック音楽の作曲家の間で囁かれていたとされる「交響曲第九番を作曲すると死ぬ」というジンクスです。
ベートーヴェンが交響曲第9番を完成させた3年後、交響曲第10番を完成することなく死去したことに端を発します。
ベートーヴェンの死後、交響曲を9番までしか作曲する事ができずに亡くなる作曲家たちが続きました。
ベートヴェンと親交のあったシューベルト(1797~1829)が『交響曲第9番』を作曲した2年後に死亡しています。
ドヴォルザーク(1841~1904)も交響曲は第9番「新世界より」作曲後は、次の交響曲のスケッチを少しだけ残し、生涯を終えました。
ドイツを代表するブルックナー(1824~1896)も『交響曲第9番』(未完)を書いて数年後死亡しています。
この3人の偉大な作曲家の死の事実から「交響曲第9番を作ると死ぬ」という迷信が生まれたといいます。
その都市伝説を異常に気にした作曲家がグスタフ・マーラーだそうです。
マーラーは交響曲第8番の完成後、次に取り掛かった交響曲を交響曲として認めずに『大地の歌』と名づけ、死を回避しました。
しかしその後勇気を持って交響曲第9番を作曲したところ、なんとその次の交響曲第10番を作っている最中に生涯を閉じてしまうのです、、、すなわちマーラーも第9番が遺作となってしまいました。
死の連鎖
「交響曲第9番」作曲と前後して死去した主要な作曲家は、その他にシュニトケ、ヴェレスなどがいます。
イギリスを代表する作曲家ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)も『交響曲第9番』を作曲後、次の年に亡くなってしまいました。
ここまで連続して有名作曲家が死んだ事実があると、この都市伝説も信憑性を含んできてしまいます。
この事が「第9」迷信の決め手となってしまったようで『交響曲第9番』を書くと死んでしまうという迷信は20世紀にまで引き継がれてきたのです。
ただし例外も
ベートーヴェン以前の作曲家であるハイドンやモーツァルトらは第九の呪いとは無縁でした。
ベートーヴェン以降の19世紀の作曲家では、ラフが交響曲第11番まで書いています。
第一次世界大戦後ではミャスコフスキーが27曲を作曲し、第二次世界大戦後に第10番を書いた作曲家には、ショスタコーヴィチ15曲、ブライアン32曲、ヴィラ=ロボス16曲、ミヨー12曲以上、ヴァインベルク20曲、シンプソン11曲、ヘンツェ10曲などがあります。
また現在ではフィンランドの作曲家で指揮者のセーゲルスタムは2管編成24分程度の同類の交響曲を作曲中で、その数は300曲を超えます。
つまり
もともと大作である交響曲は9曲ぐらい書いたらちょうど寿命と重なる・・という時間的な理由が大きいと考えられます。
ベートーヴェンが亡くなってから1世紀以上に渡って『第9』迷信が信じられて来ましたが、様々な人が「第九の呪い」を意識してしまうぐらい、ベートーヴェンの作品の影響は大きかったといえるのではないでしょうか。
終わりに
落ち着いて考えると他愛もない話で、笑い話の域からは出ないエピソードと言えますが、偉大すぎる作品ゆえに様々な尾ひれが付いて益々不思議なイメージを膨らませたのかもしれません。
このようなエピソードもあったということを頭の片隅に置きながら今年の年末にこの曲を聴くと、また違った楽しみ方ができるのではないでしょうか。