「メリーさんのひつじ、ひつじ、ひつじ……」 幼い頃に誰もが一度は口ずさみ、日本では横断歩道のメロディや音楽の授業などでもお馴染みの童謡「メリーさんのひつじ(Mary Had a Little Lamb)」。可愛らしいメロディと親しみやすい歌詞で世界中から愛されているこの歌ですが、実は19世紀のアメリカで実際に起きた出来事をモデルにした「実話」であることをご存知でしょうか?
歌の中に登場する「メリーさん」には実在のモデルが存在し、彼女が学校に連れて行った羊との間に生まれた、美しくも少し切ない物語が隠されています。
この記事では、「メリーさんのひつじ」のモデルとなった少女メリー・ソーヤーの生涯、あの有名な歌詞が誕生した学校での大騒動、そしてエジソンの蓄音機との意外な関わりまで、この童謡に秘められた歴史と真実を徹底的に解説していきます。
「メリーさんのひつじ」は実話だった!モデルとなった少女
世界中で歌い継がれているこの童謡の裏には、マサチューセッツ州の小さな農場で育った一人の少女と、親に見捨てられた子羊との運命的な出会いがありました。
メリー・ソーヤーと羊の運命的な出会い
「メリーさん」のモデルとなったのは、1806年にアメリカのマサチューセッツ州スターリングという小さな町で生まれた少女、メリー・ソーヤー(Mary Sawyer)です。彼女の実家は農場を営んでおり、豊かな自然と多くの動物たちに囲まれて育ちました。
ある凍てつくような寒い夜のこと、メリーの家の納屋で双子の子羊が誕生します。しかし、親羊は一匹の子羊を育児放棄してしまい、その子羊は凍えて死にそうになっていました。 それを見つけたメリーは父親に「私がこの子を育てる!」と懇願します。父親は「助かる見込みはない」と諦めていましたが、メリーの熱意に負けて許可を出しました。
メリーは子羊を暖炉のそばに置き、古い布で優しく包み込み、哺乳瓶で懸命にミルクを与え続けました。昼夜を問わないメリーの献身的な看病のおかげで、奇跡的に子羊は元気を取り戻したのです。
羊との間に生まれた強固な絆
命を救われた子羊は、メリーを本当の母親のように慕うようになりました。 メリーが農場を歩けば後ろをちょこちょことついて歩き、メリーが立ち止まれば子羊も立ち止まる。彼女がどこへ行くにも、その雪のように真っ白な毛並みの子羊は影のように寄り添っていました。
まさに、童謡の歌詞にある「どこへ行くにも ついていく(Everywhere that Mary went, the lamb was sure to go)」という情景は、作られたフィクションではなく、メリーと子羊の日常の姿そのものだったのです。
学校での大騒動!あの歌詞が生まれた瞬間
メリーと子羊の微笑ましい関係は、やがて町中の人が知るところとなります。そしてある日、のちに世界的な童謡となる歴史的な「事件」が起きました。
兄弟のイタズラ心から学校へ
メリーが通っていたのは、レッドストーン・スクールという小さな1教室だけの学校(ワンルーム・スクールハウス)でした。
ある朝、メリーが兄のネイトと一緒に学校へ向かおうとした時、子羊がいつものように後をついてきました。通常であれば農場に置いていくのですが、この日は兄のネイトが「学校に連れて行ってみたら面白いんじゃないか?」と悪戯っぽく提案したのです。
メリー自身も子羊と離れるのが寂しかったため、その提案に乗ってしまいました。彼女は子羊をバスケットに入れ、先生に見つからないようにこっそりと学校の教室に忍び込んだのです。
教室でのハプニングと先生の対応
メリーは自分の机の下に毛布を敷き、そこに子羊を隠しました。しばらくの間、子羊は静かに眠っていましたが、メリーが授業で前に呼ばれた瞬間に悲劇(喜劇)が起こります。
目を覚ました子羊が、大好きなメリーの後を追って「メェ〜!」と大きな鳴き声を上げながら教室のど真ん中に飛び出してきたのです。 静まり返っていた教室は、突然の羊の乱入に大爆笑の渦に包まれました。大騒動となった教室を収めるため、女性教師のポリー・キンボール先生は笑いを堪えながらも、子羊を教室の外に出すように命じました。
子羊は教室の外に締め出されてしまいましたが、決して家に帰ろうとはせず、メリーが学校から出てくるまでドアのすぐ外でじっと待ち続けていたと言われています。
青年ジョン・ロールストンが贈った3連の詩
偶然にもその日、学校にはジョン・ロールストンという地元の青年(一説には神学生)が見学に訪れていました。
彼は、子羊が教室で引き起こした騒動と、外に出されてもメリーを健気に待ち続ける子羊の姿に深く感銘を受けました。そして翌日、馬に乗って再び学校を訪れた彼は、メリーに一枚の紙切れを手渡します。
そこには、メリーと羊の出来事を綴った3つの連からなる詩が書かれていました。 これこそが、「Mary had a little lamb(メリーさんのひつじ)」のオリジナルとなる最初の歌詞の誕生の瞬間だったのです。
歌が世界中に広まった理由と背景
ジョン・ロールストンが書いた詩は、どのようにして世界中で歌われる「童謡」へと進化していったのでしょうか。そこには、もう一人の女性の存在と、メリー自身のその後の人生が関係しています。
サラ・ジョセファ・ヘイルによる出版と完成
ロールストンが書いた詩は地元のコミュニティで少しずつ広まりましたが、彼自身は若くしてこの世を去ってしまいました。
その後、1830年になって、アメリカの有名な女性作家であり編集者でもあったサラ・ジョセファ・ヘイルが、この詩に新たな連(教訓的なメッセージ)を書き加え、自身の著書『子供のための詩集(Poems for Our Children)』に収録して出版しました。 サラが加えたのは、「なぜあの羊はあんなにメリーを愛しているの?」という子どもたちの問いかけに対し、「メリーが羊を愛しているからよ」と先生が答えるという、愛の返報性を説いた美しい結末でした。
さらに、この詩にローウェル・メイソンという作曲家がメロディを付けたことで、私たちがよく知る童謡「メリーさんのひつじ」が完成し、全米の学校教育の場で爆発的に広まっていったのです。
メリー自身のその後と羊との悲しい別れ
詩のモデルとなったメリー・ソーヤーと、あの子羊のその後についても触れておきましょう。
学校での騒動から数年後、悲しい出来事が起こります。大きく成長した羊が、農場にいた牛に角で突かれ、重傷を負ってしまったのです。メリーは必死に看病しましたが、羊はメリーの腕の中で息を引き取りました。メリーの悲しみは計り知れないものでした。
しかし、羊の思い出は永遠に残りました。メリーの母親は、亡くなった羊の毛を紡いで2足の靴下を編んでメリーに贈りました。メリーはこの靴下を一生の宝物として大切に保管します。
のちの1880年代、ボストンにある歴史的建造物(オールド・サウス・ミーティング・ハウス)の保存資金を集めるためのチャリティ活動が行われた際、老齢になっていたメリーはその靴下を解き、短い羊毛の糸にして自分のサインカードに貼り付けて販売しました。 「あの有名なメリーさんのひつじの、本物の羊毛」は飛ぶように売れ、建物の保存に大きく貢献したという心温まるエピソードが残されています。
エジソンの蓄音機と「メリーさんのひつじ」の意外な関係
「メリーさんのひつじ」の歴史を語る上で欠かせないのが、かの有名な発明王・トーマス・エジソンとの関わりです。この童謡は、人類の科学技術史においても非常に重要な役割を果たしました。
世界で初めて録音・再生された「人間の声」
1877年、トーマス・エジソンは音を記録して再生することができる機械、「蓄音機(フォノグラフ)」を発明しました。 彼がこの画期的な機械の公開実験を行う際、テストとしてマイク(送話口)に向かって最初に吹き込んだ言葉、それが「メリーさんのひつじ」の第1連の歌詞でした。
エジソンが自らの声で吹き込んだ以下のフレーズが、錫箔(すずはく)のシリンダーに記録されました。
“Mary had a little lamb, Its fleece was white as snow, And everywhere that Mary went, The lamb was sure to go.”
その後、機械のハンドルを回すと、エジソン自身の声でこの詩が見事に再生されました。つまり、「メリーさんのひつじ」は人類の歴史上、世界で初めて録音・再生された人間の声(音声記録)という偉大な金字塔を打ち立てたのです。
なぜこの歌が最初の録音に選ばれたのか?
エジソンが歴史的瞬間にこの歌を選んだ理由は、当時のアメリカで最もポピュラーで、誰の頭の中にも入っている馴染み深いリズムだったからだと言われています。
複雑な演説や難解な文章ではなく、誰もが知っているリズミカルな童謡を選ぶことで、「機械が人間の声を正確に再現している」という事実を、一般の人々により分かりやすく証明したかったのでしょう。エジソンのこの粋な計らいにより、「メリーさんのひつじ」は科学史に永遠にその名を刻むことになりました。
アメリカに残るメリーの足跡と歴史的遺産
現在でもアメリカには、メリー・ソーヤーと羊の物語を今に伝える歴史的な遺産が大切に保存されています。
復元された学校(レッドストーン・スクール)
メリーが羊を連れて行ったことで有名なレッドストーン・スクールの建物は、一時荒廃していましたが、アメリカの自動車王であるヘンリー・フォードの目に留まりました。
歴史的建造物の保存に熱心だったフォードは、1927年にこの古い学校の建物を買い取り、マサチューセッツ州のサドベリーという場所へ移築して修復しました。現在でもこの建物は「メリーさんのひつじの学校」として保存されており、観光客が見学できるようになっています。
メリーの故郷スターリングの「羊の銅像」
メリーの故郷であるマサチューセッツ州スターリングの中心部には、愛らしい子羊の銅像が建てられています。
残念ながら、メリーが育ったソーヤー家の農場(生家)は、2007年に放火とみられる火災によって焼失してしまいましたが、町の人々は今でもメリーと羊の物語を町の誇りとして語り継いでいます。毎年、地元の祭典などではこの童謡にちなんだイベントが開催され、世代を超えて愛され続けています。
日本での普及の歴史
ちなみに、この歌が日本に伝わり定着したのは、昭和初期のことです。日本の唱歌の作詞を数多く手がけた高野辰之(たかのたつゆき)らが日本語の歌詞を付け、音楽の教科書に採用されたことで全国の子どもたちに浸透しました。
現在では、視覚障害者用の音響信号機(横断歩道)のメロディとしても採用されており、日本の日常風景に欠かせない音楽の一つとなっています。
まとめ:「メリーさんのひつじ」が現代に伝えるメッセージ
今回は、世界中で愛されている童謡「メリーさんのひつじ」に隠された、実在のモデルと心温まる歴史について解説しました。
記事のポイントをまとめると以下の通りです。
- モデルは実在した19世紀のアメリカの少女、メリー・ソーヤー。
- 親に見捨てられた子羊を献身的に育てたことで、深い絆が生まれた。
- 学校へ羊を連れて行った際の大騒動を見た青年が、最初の歌詞(詩)を書いた。
- メリーは後年、亡き羊の毛で作られた靴下を解いて売り、歴史的建造物の保存に貢献した。
- エジソンが蓄音機で「世界で初めて録音した人間の声」がこの歌だった。
誰もが知っている短い童謡の裏には、少女と動物の間の深い愛情、歴史を動かした人々の関わり、そして最先端の科学技術史まで、驚くほど豊かなストーリーが詰まっていました。
「なぜあの羊はあんなにメリーを愛しているの?」 「それは、メリーが羊を愛しているからよ」
サラ・ジョセファ・ヘイルが詩に書き加えたこの教訓は、人間と動物の関係だけでなく、人間同士のコミュニケーションの本質をも突いています。 次に横断歩道やテレビで「メリーさんのひつじ」のメロディを耳にした時は、ぜひ19世紀のアメリカで起きた、一人の少女と小さな羊の美しい友情物語を思い出してみてください。


